班員インタビュー 撮影照明部編

『つかずはなれず』河井班、ブログ担当の木下です!
今日は、撮影監督・編集の篠原祐友さん、撮影・照明部の伊藤駆さんにインタビューしました。

授業履修、河井班参加に至るまでどんなことを考えたのか?
撮影時悩みテーマとなったのはなんだったのか?

沢山聞くことができました!お楽しみください!

ー授業を履修したのはー

篠原
もともと興味はありました。自分は映画サークルは5年在籍していて、実は今までの映像制作実習の作品を編集とかに関わったこともあります。授業自体は自分が落ち着いて履修できる状態になかなかならなかったんですが、今は大学院になって時間ができたので今年こそはと思って履修しました。私はカメラが好きなのであわよくば撮影をやりたいなと思って履修しました。

伊藤
僕は映画サークルとか入ってないのでこの授業に入らないと映画を撮れないんです。去年はそれを理由に履修しました。今年の授業を受けた理由は、去年授業で映画を撮った時に、その制作の過程はすごく楽しかったんですけど、作ったものに関しては全然満足が行かなかったんです。だから悔しさ半分、楽しさ半分みたいな思いで今年も履修することにしました。ただ、自分が今年何をしたいかとかあまりなくて、班決めとか、どれくらいコミットしようかとかはあまり考えていなかったです。

ー河井班に参加を決めた理由ー

伊藤
実は最後の方までは僕はどの班に投票するのか迷っていました。河井さんの脚本は読んでいてすごく面白かったけど「気配」とかはやっぱりカメラに映らないものだし、映画向けじゃないなぁとは実は思ってて。逆に言えばそれがうまくできればとても面白くなるんじゃないかなと。だから河井さんを選びました。

篠原
もともと監督とは同じサークルで先輩と後輩の関係ではあるんだけど、あまりしゃべったことはなかったんです。でも企画書を読んでいて、「面白いなぁ」っていうのは感じていて。
あと、特殊な場所に撮影に行けたら面白そうだなともちょっと思っていて、お墓で撮影っていうのはなかなかないので撮ってみたいという気持ちもありました。

ー「気配」の描写の難しさー

篠原
始めてみて困ったことは、さっき伊藤君が言ってた「気配」の描写ですね。そこは撮影的にすごく難しかったです。しかもそれだけじゃなくて脚本では人の死を扱ってるので、安易に「こう見えるだろ」って決めつけたりする事は絶対だめだなというのは強く思っていました。
そこで、いろんなパターンの見え方っていうのを一個一個、監督と一緒に探していって、「あーこういう見た目なんだ」とかそういう感覚をちょっとずつ洗い出していくようにしました。積極的な受け身って言うのかな、そんな感じでした。
脚本では出てこなかった問題が映像になると出てくると、これ俺の責任じゃねって結構ヘコみます。今もヘコみ続けてるんですけど。
でもだんだんと、見え方をいくつか提示するってよりは、このシーンでは監督は一体何がやりたいのかっていうのを、もっと初めから聞いた方が、監督や班員とうまくやれるんだなってことがだんだんと最近になってわかってきたんです。
もうちょっと早くこうしとけばなぁって思いつつも、その時間は帰ってこないし、とりあえず撮影と編集を頑張ろうと今すごく焦ってますね。

ー芝居に合わせてカメラを決めるー

篠原
直前に決まった役者の動きや演出に合わせてアドリブでカットを決めることが多くて、その中でも最初のシーンのシオリが窓を覗くところは、よく撮れたなと思います。シオリが帰ってきて上着の匂いを嗅ぐカット、シオリがベッドに向かって座りこんでいるアップも良いポジションで撮れました。
まだワンシーンだけで観てもカットの撮り方の良し悪しの判断つかない状態なので、報われない感というか、上手くいってる感が少ない感覚があります。だからあんまり上手くいってないんじゃないかという不安はいつも付き纏っています。

ー班員としての河井班への関わり方ー

篠原
はじめのほうは自分はモグリの上に、大学院生って言うポジションだから妙な圧を人に与えてはいけないし、立ち振る舞い考えないとと思ってちょっとビクビクしてたので、班員がスムーズにコミニケーションを取れていることは良かったです。次第にみんなしゃべれるようになってきて、そういう気負いみたいなものもなくなって、純粋に授業自体に向き合えるようになったのでそこは良かったなと思います。
監督とは、さっき積極的な受け身と言ったけど、最初はそういう姿勢で進めていて、でもあまり上手くいかず、途中でやっぱり違ったかもと思いました。
撮影が進むにつれ、もっと自分も含め皆で決定に関わろうとするようになってきたと思います。

伊藤
僕も、最初の頃のスタンスとしては最初は助言を言うだけ言って、後は選んでもらおうみたいなちょっと無責任な感じでした。
これは性格でもあるんですけど、中に首を深く突っ込み始めてしまうと、その中で起きた気に食わない事はとことん気に食わなくなっちゃうんです。助言で留めておけないというか。
ここは絶対違うだろっていうのが入り込めば入り込むほど止められなくなるので、あくまで監督に決断を委ねる、という姿勢で深入りしないように関わっていました。
去年はカメラマンとして若干動きの演出とかもしてたんで、自分の意見を通すこともできたんですけど今年は立場も違うと思って。でも言わないといけない事は言ったほうがいいだろうとも思うこともあり…
その間の踏ん切りみたいなものはやっぱりまだつけられていないですね。
でも、今は最初のスタンスとは変わり、ただ選んでもらうんじゃなくて、今ここで監督はなんて言って欲しいんだろうとか、何を言えば監督のゴーサインとNGの判断基準を定める助けになれるだろうとか、そういう見方をするようになりました。少し大人になったような気がします。
ただ、監督の意思や意図をどれだけ尊重するかは終始悩みました。
僕はスタッフがそれを全て分かる必要はないと思っていて。分かったらそれはそれで意見を言いづらくなって、可能性を狭めてしまうと思うので。
もちろん、汲み取ろうとはしてきたけど、そこのバランスというか距離感は、分からないまま今日まで来たなと思います。

ー最後にー

主に気配の描写や、自分の立場でのチームへの関わり方を悩みながら進んできた二人。難しい問題で、未だ答えは出ていないようですが、試行錯誤しながらちょっとずつ方向を決めていった様子がよく伝わってきてました。

そんな彼らの積み重ねも詰まった『つかずはなれず』、1月16日早稲田大学大隈講堂でぜひお楽しみください!

2020.1.5(火)