上映会を終えて~上映会担当編~

上映会

こんにちは!ブログ担当の中島です。2022年度「映像制作実習」作品上映会が開催されてから約1週間。上映会担当からコメントを頂きました!↓

こんにちは。2022年度映像制作実習・上映会担当の梶です。

1月22日に行われた2022年度「映像制作実習」作品上映会にお越しいただいた皆様、ありがとうございました。予想以上に多くの方にご来場いただき、作品を届けられたこと、上映会担当として大変うれしく思います。世の中の規制も緩和され、今年度の上映会では配信は行わない運びとなりましたが、今後も少しでも多くの方に作品をお届けできるよう、微力ではございますが尽力してまいります。

1年前の同じ日、私は観客として大隈記念講堂の客席で映像制作実習の作品を観ていました。どちらかと言えば、テレビドラマの方が身近で、映画はたまに映画館に行く程度。しかも、観に行く作品はすべて俳優目当て。それでも、用事を断ってまで上映会に足を運んだのは、当時は進路に迷っていると自分に言い聞かせていただけで、心のどこかでは3年生で所属する研究室も、この授業を履修することもすでに決めていたからかもしれません。

この日に観た作品の記憶は、内容よりも断片的なシーンばかりで、それよりも学生映画のクオリティの高さに衝撃を受けたことを鮮明に覚えています。帰り道、いま研究室でともに学んでいる同級生とその衝撃を共有し、感想を語り合いました。同じ作品を観て、感想を言い合う。簡単そうなことだけど、そのためには空間も時間もともにしなければなりません。作品を投影すること、そして同じ空間にいる人が同時にスクリーンにまなざしを向けることが、いかに特別な環境であるのか、上映会の運営に関わったことで「作品を届ける」立場の思いを身をもって知ることができたように思います。

映画に限らず何かを表現するということは、何かをそぎ落とすということでもあると思います。「自由には責任が伴う」という言葉があるように、作品づくりには作品の本質にそぐわないものやコンプライアンスの関係、金銭的な事情でフレームに入らなかったものが存在します。そのようなフレームの外側と内側の折り合いをつけながら、作り手は「自由」を手に入れるのではないでしょうか。

しかし、無限に広がる「自由」はそう簡単にゴールを教えてくれないのだと、上映会を通じて感じました。終わりが見えないが故に、作品も完成しない。まさかの上映会当日の朝になっても、担当者の手元に作品のデータが一つも届きませんでした。前述したような環境が整っていたとしても、作品がなければ上映会は成立しません。監督をはじめとする作り手の葛藤は私には到底理解のできないものです。ですが、その葛藤により生まれた作品を問題なく大きなスクリーンに投影するという義務は、上映会担当として果たしたいもので、それこそが私たちの最大の「責任」だと思います。

上映会を終えた今、無事に責任を果たすことができて安堵していますが、振り返ってみると「あの時こうすればよかった」という後悔や反省ばかりが思い浮かびます。ですが、この気持ちは映像制作実習を履修した一年間で得たどの学びよりも、将来のためになるインプットだと感じています。これは作品づくりにおいても同様なのではないでしょうか。おそらく、ほとんどの受講生がこの授業の醍醐味は撮影現場をはじめとする作品づくりの場にあると感じていることでしょう。ですが、私は「作品を届ける」ところまで関わることができたからこそ、より作り手という存在を理解することができたと思っています。

1年前の私が今年度の作品観ていたら、どう思うのでしょうか。確実に今の私よりも純粋に作品を楽しむことができていると思います。そして、興奮のままに近くの人に感想を話していることでしょう。

改めて、今年度の作品上映会にご来場いただいた皆様、本授業にご協力いただいた皆様に感謝申し上げます。作品をご覧いただいた方にとって、上映会が一つの会話のタネになっていれば幸いです。

(写真:太田朋希)

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